長浜城歴史博物館「国友一貫斎-発明とその夢-」を見学に長浜へ。
なに?友人、帰りに船に乗っている!?
外輪船「ミシガン」などの観光船を運営する琵琶湖汽船の季節限定「びわ湖縦走雪見船クルーズ」です。なにそれ乗りたい!
調べてみると、往復便や往路はすでに満席ですが、長浜から大津への復路はまだ空きがあるとのこと。
それなりのお値段ですが、長浜までの往復に利用するつもりだった、JRの「関西1デイパス」で、片道なら乗船可能。ということで、完全に友人の後追いですが、JRで長浜に向かい、帰路は大津まで船という計画が出来上がりました。
JR在来線で京都より向こうに向かうのは久しぶり。新快速で3時間の長旅ですが、始発駅に近い地の利で、座って乗り換えなしで行けます(のつもりが、米原で切り離される方の車両に乗ってしまったため乗り換えが必要でしたが、まあ微々たること)。
国友一貫斎は私たちの間では江戸時代に反射望遠鏡を作り、それで天体観測をした天文の人のイメージですが、本職は鉄砲鍛冶師です。鉄砲の製法は鉄砲鍛冶仲間の間の秘伝で、口伝で後継者に伝えられていたとか。鉄砲みたいな近代兵器に似つかわしくないイメージですが、現代でいえば軍事機密なわけですね。
とはいえ平和が続いた時代、鉄砲鍛冶も人口が減少し、それに危機感を持った国友一貫斎は製法の明文化を試みたとか。そんなわけで鉄砲の製法に関する文書が多く展示されています。その中にはテレビ番組で取り上げられた「気砲(空気砲)」や飛行機械の図面も。
他にもガラスのカンテラのような灯りの「玉燈」や、反射させた光の中に像が浮かび上がる「神鏡」など、非常に多彩な器具を製作しており、機械製作において非凡な才能の持ち主であったことがうかがえます。
反射望遠鏡は、現存する4台すべてが展示されていました。サイズは、コルキットスピカの反射望遠鏡バージョンが出たらこれくらいのサイズになるかなと思えばわかりやすいでしょうか(わからん、って)。
このうち同館所有の二号機は、国立天文台が調査して、現在の望遠鏡の鏡面精度に劣らないと評価した望遠鏡です。調査結果とともに展示されていました。これで月を見てみたい。導入が大変そうですが。
また、主鏡、主鏡の研磨用の砥石、レンズにや研磨剤に使用したらしい鉱物があったり、望遠鏡制作にあたっての試行錯誤がうかがえました。
そして天体観測の記録。当初は望遠鏡の性能の調査が目的だったとされますが、やがて観測それ自体が目的となったようです。
太陽黒点観測では、黒点の移動の周期に気が付いたりなどは知られています。減光に用いた「ゾンガラス」という色付きガラスも展示されていました。冬至割合しられていた減光方法のようですが、もちろん現代では危険な方法であることが分かっています。当時のゾンガラスも眼へのダメージを軽減する効果はなかったと考えられるとか。相当眼を悪くしたかもしれません。
月面の観測もよく知られていると思います。観測を行いながら望遠鏡の改良を行ったり、また一貫斎自身の観測技術も向上したのか、残されている、月の観測図は、後半になると精密さが格段に向上しています。
図録を買って博物館を出ると、昼食に街中へ。黒壁スクエア当たりの観光客でにぎわうあたりを抜けて、少し静かな通りにある「そば八」というお蕎麦屋さんへ。ここで一番人気という「十六文」を注文。出雲の割子そばみたいな、小さい器に小分けにされたそばにつゆをぶっかけて食べます。しっかりとした蕎麦、つゆがおいしい。この頃のお昼の外食はかなり当たりが多いです。
続いて、まるい食パンの「つるやパン」へ。小さいお店。ここでまるい食パンを使ったサンドをいくつか購入し、港へ向かいました。(続く)