正倉院展

毎年恒例の正倉院展見学。昨年は事情で行けなかったので2年ぶり。

駐車場

毎度、奈良に行くときは駐車場に困りました。だいたい車でいくわけで、奈良公園近辺の駐車場は朝からほぼ満車、道は大通り以外は狭く袋小路だらけ、車は多いし人も多いし鹿も多いし(笑)。いらいらしながら停める場所を探し回るのはもうやりたくない。

前回2年前はコンベンションセンター地下駐車場を利用しました。今回はさらに離れて朱雀門前の観光駐車場を利用。ここからバスで奈良公園まで往復する「パークアンドライド」を利用すると、駐車料金と往復のバス代が無料になります。
移動は片道30分以上かかりますが、ここからだと座れるし楽ちんです。
あまり時間が遅いとここもいっぱいになるかもなので、早朝に家を出て9時ごろに到着。駐車場はまだガラガラでした。

バスは奈良公園まで行くのですが、都合でJR奈良駅で降りました。そこから公園まで歩いても大した距離ではありません。

念仏寺山古墳(開化天皇陵)から興福寺まで

街中に唐突に表れる古墳。宮内庁による御陵名は春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)。
天皇陵なので本格的な調査はされておらず、本当の被葬者も不明ですが、名前にあるように念仏寺の寺域として、江戸時代までは墓地として使われていたとか。かなり改変がされています。

てくてく歩いて三条大路の東の端へ。高速餅つきの中谷堂でお餅を食べ(柔らかくておいしい)、興福寺へ。五重塔は2031年まで保存修理中。

これまでは午前中に奈良博へ向かったのですが、今回は先にお昼ごはんにして、午後に向かうことにしていました。ということで早めのお昼ごはん

前回、茶粥と漬物を楽しんだお店が、なんと値段が倍近く上がっています。さすがにその値段は…と考えて他を探した結果、奈良公園バスターミナルにある牛かつ屋へ。あれ?ここ、万博でも行ったよね。
当然お高く、前のお店に行った場合とほぼ同額なのですが、こちらなら値段相応な気がしました。
店に入ったときは席にまだ余裕がありましたが、出る時は行列ができそうな勢いで、早めの行動が今回もいい方向に。

二月堂

長らく訪問していない二月堂へ。前回訪問したのは多分結婚前。
人が多い大通りを避けて、バスターミナル北東の登大路町交差点から東の道へ。二月堂の裏参道に向かうつもりが、中門前の参道へ出てしまいました。大仏殿に入る人の長い行列。前に来た時こんな大行列になってたっけ。

表側から二月堂へ。Google Mapsで見るとそれほど距離がないように見えるのですが、歩くとずいぶん遠く感じます。上り坂だからというのもあるのでしょう。正倉院展見る体力の残るのかなと不安を感じながらたどり着きました。

修二会は、奈良在住の時も含めて参拝したことがありません。一度行きたいと思いつつもうこの歳です。

若草山

山焼きの時はとんでもない混雑でしたが、人は多いけれども混雑というほどではありません。
車も時々通りますが、その前に鹿が佇んでしまい、外国人観光客が移動を促すという場面が何度か。

奈良国立博物館

さんざん大回りして歩いてきたのに、予約時間にはまだまだ余裕があります。
ひとまず、時間まで地下のカフェで休憩。

やっとこさ正倉院展へ

相変わらず大人気です。入場自体はスムーズですが。動線的に、見ていく順番は自然にできるけれども、特に順にみていく必要はなく、そのように呼びかけられているけれども、なにかある順に沿って人が集中します。音声ガイドの解説順序のためかもしれない。
こちらはそんなのは無視して、空いてそうなところから見て回りました。

双六の駒とサイコロ

昔の双六は、現在の、駒を進めてゴールを目指すゲームではなく、陣取り合戦のような遊び方をしていました。もっとも、正しい遊び方は伝わっていないとのこと。
サイコロなんてこの時代からあったんだなぁという妙な感想を。
また駒はとても小さいのですが、ガラス製で非常にきれい。

黄熟香(蘭奢待)

先に行った人から、混雑するので、紙箋がある表からではなく、裏から見た方が早いとアドバイスを受けてました。
で、まず裏から、ぐるっとまわって表へ。外見まるで生ハムのようですが(おい)、中が大きく空洞になっていることがわかります。足利義政、織田信長、明治天皇が切り取ったことを示す紙箋は有名ですが、他にも多数切り取られた跡があるとのことで、確かに何か所か見て取れました。
よく見ようと近づいて身をかがめてみると、なにか甘い匂いが…「香りの展示はない」とのことでしたがまさかね。

瑠璃坏(るりのつき)

今回の一番の目玉展示。公開されるのは13年ぶりとのこと。この作品のためだけに一室が設けられ、よく考えられた照明の下で深い紺色のガラスが静かに輝いています。小さな器ですが、存在感が際立っています(存在感も何も、それ一品だけおいているわけですが)。
正倉院で器物として完成している状態のガラス器は6点だけ。いつ日本に来たかは不明ですが、本体は西方産、シルクロードを経て東アジアに渡り、脚がつけられて日本にやってきたと考えられるとのこと。
金属の脚の上に器を載せる受け具は明治期に取り付けられたものですが、後に本当の受け具が発見され、それもともに展示。
正倉院展に来る前に、瑠璃坏の再現品を制作する作業をテレビでやっていたのですが、どの局の番組だったか…探してみると、YouTubeで2年前の動画が見つかりました。

史上初 復元品の制作に密着!天平のきらめき 正倉院のガラス宝物

いやそれどころか、なに?瑠璃坏の再現グラスでワインを楽しみ、そのグラスを持ち帰るイベントがあった??

奈良博監修の「瑠璃坏」再現グラスで楽しむ「正倉院の宴」|美術手帖

さすがに再現グラスはミュージアムショップにもありません。その代わりでもないのですが、瑠璃坏の破片を手に入れました(箸置きです)。