唐招提寺・薬師寺・大安寺・橿原神宮
奈良駅前のビジネスホテルで一泊し、次の日の朝。薬師寺の南側の駐車場へ。開門より早い時間。がらがら。早い時間に行動して正解。
薬師寺開門と同時に入場、そのまま素通りして北門から出、唐招提寺へ向かいました。妻が唐招提寺の御朱印帳が欲しいということで、先に唐招提寺に行きたかったのですが、駐車場は薬師寺の方が広く、このような段取りに。薬師寺は再入場できるのでできたことです。
唐招提寺
律宗総本山唐招提寺。日本からの招請を受けて来日した鑑真大和上ゆかりの寺として知られます。
金堂は8世紀後半に鑑真和上の弟子の尽力によって完成。安置された仏様を含めすべてが国宝。

校倉造の建物が2棟あります。経蔵と宝蔵。実は経蔵は日本最古の校倉造なのですが、写した方は宝蔵の方でした。


境内の北東側、もっとも奥まったところに鑑真和上の御廟があります。
御廟自体は撮影を控えましたが、そこに行く道は、苔が見事でした。

鑑真大和上は、こちらのページで紹介されているような坐像が知られていますが、この像は御影堂に安置され、年に1回わずかな日数しか公開されません。そのかわりに「御身代わり像」が作られ、御影堂の手前の開山堂で参拝することができます。
薬師寺
唐招提寺と薬師寺を結ぶまっすぐな一本の道を引き返していきます。
左手にも大きな伽藍が立ち並んでいますが、これらも薬師寺の一部、玄奘三蔵院伽藍。より新しい建物は寺務所や写経道場などとなっています、玄奘三蔵院伽藍も拝観可能ですが、今回はお参りせず。
北門(輿楽門)から白鳳伽藍の中へ。二つの五重塔と混同などが立ち並ぶ、一般に薬師寺と聞いて思い浮かべる伽藍がこちら。近鉄西ノ京駅の駅前なので、電車で来た場合は輿楽門から入場するのが自然な流れです。
持統天皇の時代に藤原京で造営され、平城遷都にともなって現在の位置に移転。しかし天災や兵火でほとんどの建物が失われ、創建時から現存するのは、唯一東塔のみとなります。
現在の伽藍は、1968年から復興が始まりました。まず1976年に金堂が落慶、現在は西塔もふくめおおよその伽藍が復興しています。
なにがすごいって、これ、すべてお写経勧進の納経料で賄っているのですよね。高度経済成長期真っ只中で、それまでの日本の習俗がどんどん失われていった時代から始まったわけなのですが、信仰の力というのはすごいものです。



大安寺
薬師寺から車で東へ
大安寺は日本初の官立寺院です。
聖徳太子が創建した熊凝道場が始まりとされます。その後百済大寺、高市大寺、大官大寺と、場所と名前を変え、平城遷都にともない現在の位置に移転して大安寺となりました。南都七大寺の一つ。奈良時代には、平城京の地番で計15坪、約24ヘクタールの広さがあったようですが、現在は規模が縮小し、現代の境内から南150メートルに東塔と西塔の基壇が残るのみとなっています。
その役割の一つとして悪病難病封じがあり、その背景から、現在は癌封じの寺として知られています。
なのですが、一歩境内に足を踏み入れると、夥しい数の小さなダルマさんが。石の上、灯篭、所せましと並べられています。
おみくじが付いた「みくじだるま」です。おみくじを引いた後、みなさんが置いて行ってるんですね。
これがSNSでバズって、だるまさんを見るために来られる人も多いとか。

橿原神宮
神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)と、皇后の媛蹈韛五十鈴媛をお祭りする神社。
日本書紀では、神武天皇は東征の末に畝傍山南東に「橿原宮」を創建し、初代天皇として即位されたとあります。神宮はその「橿原宮址」とされる場所に明治23年に創建されました。とても新しい。
公共交通機関だと、近鉄橿原神宮前駅からすぐですが、車で畝傍山の北から進みました。
大きな木々に囲まれた広い車道。大きな鳥居からまっすぐに伸びた参道。巨大な社殿。初代天皇をお祭りするのにふさわしい壮麗さでした。
