兵庫県立美術館の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」へ。
入場前に見どころ解説をやるというので、まずそちらに参加してから入場。
古代エジプトというと、ギザの3大ピラミッドやツタンカーメンや、最後のクレオパトラがよく知られていますが、例えばこの三者の間にそれぞれ千年以上の間があることは案外認識されていないのではないでしょうか。それほど長い長い歴史があるのですから、時代時代により多くのものが変わっていたとしても当然でしょう。ツタンカーメンの時代にはピラミッドは作っておらず、クレオパトラの時代には、青銅製の小さな像を供物として捧げるのが流行したり。
ただ一貫していたのは、ひたすらミイラを作っていたことでしょうか。
展示では、著名な王や、ピラミッドや神殿のような代表的な建造物に関わるものはほとんどありません。財務長官や街の人の供養碑、はては主婦のミイラなど、「誰?その人?」みたいな人々に関わるものが多く展示されていました。
棺も、裕福な人のは豪華ですが、庶民はずっと簡素で。
ただ一貫しているのは、死後はみんなミイラになることで。
さらには、コプト教の関係の展示まで。
コプト教はさすがにミイラにはしなかったと思いますが。
さて、最後にミイラの展示もありましたが、死後数千年経過しているとはいえ、人の死体ですので、苦手な方もおられると思います。
展示されていたのは、包帯を解いてない状態でした。結構丸々としていて、中の人の形はあまりわかりません。包帯は古びて入るけれどもしっかりとしています。
いまは包帯を解かずに中を調べることができます。CTスキャンをかけ、3D解析することで、仮想的に包帯を解き、遺体を解剖できます。
この人はガンを患っていたとか、更年期障害だったとか、当時のパンは砂混じりだったとか、そんなこともわかります。
解析技術の進歩なのですが、これらのミイラを収蔵していたライデン博物館では、将来の技術進歩を見越して、保存していたとか。
先見の明というものですが、ポンペイも多くの区域も同じ理由で発掘せずそのままにしていたり、「はやぶさ」が持ち帰ったサンプルの一部も将来のために保存されたりしています。
ともかく、エジプトといえばピラミッドかミイラな感じですが(この投稿でもミイラミイラ言ってますが)、それだけではない、もっと深いものに触れられた気がします。無名の人々も、王族と同様の信仰、死生観を持ち、同じように死者を弔っていたのですねぇ。
思えばミイラにせよ豪華な棺やお墓にせよ、相当な手間を必要としたはずで、残された人の死者を想う気持ちが伝わってくる気がしました(単にそれが当たり前でなんとも思われてなかったりもありそうですが)。