なぜ(撮影ではなく)天体を眼で見るのか

「なぜ天体写真を撮るのか」というのがTwitterあたりで話題になっていると聞きました。私のTLに流れてきたのは1件だけのような気がしますが、まあTLの育て方の問題でしょう。

私は写真はあまり撮りません。このブログにも月食の写真など上げているので、まったく撮らないわけではありませんが、でもあれもスマホですし、撮影のための機材も、三脚とポタ赤ぐらいしか持っていません。そういえばポタ赤、しまいこんだままだな。

星や宇宙は子供のころから好きで、中学の時に買ってもらった望遠鏡は大学のころまで愛用していました。ある程度本格的になってきた大学以降は、当たり前のように写真をやっていく流れの中で、私も写真に手を付けました。みんな通る道でしょうね。固定撮影から、そろそろ直焦点とかやりたいかも、と思ってそのための機材関係の勉強を始めたころ、「眼で見るほうがおもしろいし楽しい」となり、写真への興味が遠のきました。

きっかけは2つあります。
一つは、社会人なりたての頃によく行っていた観測場所の近くで、45センチ級のドブソニアンを使っているグループがいて、見せてもらった天体に衝撃を受けたこと。写真でなければと思っていた天体、た網状星雲や、子持ち銀河の渦巻きなど、「眼ではよく見えない、なんてことはない」それは目から鱗でした。

二つ目は、それよりもっと後、固定撮影の最中に何となく眺めていたら、目でもわかるもやもやとした星の集まりを「発見」し、それが楽しいと思ってしまったこと。この時「発見」した Mel.20は、いまも好きな天体の一つです、

そもそも実際に天体望遠鏡で星を見て、がっかりした記憶はありません。どうも、どれくらいの見え方をするものか、あらかじめイメージができていたようです。最初の望遠鏡の取説には、視野の中の月や土星のイメージがイラストで描かれていましたし。またはじめのころは知識が中途半端で、自分から希望して反射望遠鏡を選んだ程度に頭でっかちなのに、パロマ写真星図、どころか、天文雑誌の存在も知らず。見事な天体写真というものにあまり毒されていなかったのでしょうか。

それもあって、ありがちな「眼ではあまり見えなくてがっかりしたから写真のほうに行った」みたいなのには全く理解も共感もできていません。

いま自宅からの電視観望に取り組んでいますが、それはどうなんだ撮影なのか眼視なのかと問われそうですが「その質問に何の意味がある?」が答えです。難しいことを考えず、その時最善と思った方法で天体を見ればいいじゃないか。私はちょっと訳があって天の川が見えるところに出かけにくくなり、それで自宅からの電視観望に切り替えたという事情もあります。また条件が整えば45センチドブをもっていそいそと出かけていくでしょう。ただ、自宅からの電視観望は、晴れればいつでもできるという強みは感じています。

電視観望はまあ眼視と撮影の中間的な感じがあって、さらにその延長に写真撮影があるかもしれませんが、せっかく満天の星のもとにいるのに、カメラと望遠鏡ばかりに向き合っているのはもったいない。そんな暇があったら空を眺めていたいというのが正直なところです。

望遠鏡で見ているとき、私や、少なくとも周囲の人は、「○○入れたよ」と、自然と他の人にも声を掛けます。その場でみんなで同じ星を見ている、みんなとみているときはそれが楽しいんですね。写真ではなかなかそれは難しいかもしれません。